グラビア雑誌Perfect 10の発行人が、グーグルのイメージ検索は著作権侵害を助長していると訴えた裁判があり、原告勝訴の判断が示されました。(現在、控訴中)
Playboyほど大きくなく、また映画や音楽業界のように尊敬を集めやすい媒体ではないため注目度は小さいですが、情報のハブとなるところが気を遣うべきポイントと、看過した場合どういうリスクが降りかかるのかが示されていて、参考になります。
▼ アダルトサイト発行人が語る、対グーグル訴訟の意味
記事中にあるNorm Zada氏の経歴は大変興味深いが(できればこの部分だけ別立てで記事にして欲しい)、今回は飛ばします。
まず、よく知られているNapsterと音楽著作権の訴訟との違い。
Napsterは直接侵害訴訟ではなく、二次侵害訴訟でした。この訴訟では、レコード会社側が勝利を収めました。しかし、今回の訴訟は著作権を侵害しているサイトにリンクを貼っている企業に対して、著作権侵害の二次的責任を問うものです。
そして、この訴訟の意義。
この訴訟でわれわれが敗訴したら、細かい条件の違いはあるにせよ、検索エンジンだけでなく、基本的には誰もが、楽曲や映画の全編を公開しているサイトのリンクを集め、巨大なディレクトリを作成できるようになります。そのサイトにアクセスすれば、誰でも1クリックで楽曲や映画を手に入れることができる。そのような事態になったら、映画と音楽に未来はありません。
これは勝手に捕捉すると、iTunes Music Storeやアマゾンのことを危惧してるんではなく、対価を支払わずにダウンロードできるサイトのことを言ってるんだと思います。
訴訟のポイントを見ると、情報ハブとなるところは、自身のサイトの機能によってもたらされることに、責任を持たねばならない。そういう主旨が見えます。
そうなると対論としては、「Winnyは悪くない、悪いのはウイルスであり、感染する人だ」--開発者の金子氏にあるように、「道具自体には罪はない。問題はそれを悪用した人間であり、そこに限定するべきだ」というものがでてきます。
たとえば「包丁で人を刺す事件が発生したとき、包丁職人が殺人幇助で捕まるか?そんなことはないだろ。」みたいな話です。いっぽう、銃による殺人が発生した場合、銃器メーカーが殺人幇助として逮捕されることはないけれど、道義的責任をめぐって責められます。
ここにも「道具自体には罪はない。問題は人間だ」理論が当てはめられそうです。しかし、包丁と銃ではその道具の目的が全然違います。道具にまつわる通常の認識(包丁は料理に使うものだ。銃は生物を殺すために作られたものだ。)が、その道具を作った者の道義的責任まで問うかどうかに影響をあたえているのですね。
そのように考えていくと、著作物だろうがナンだろうが関係なく引っ張れますよというのが明らかになっている時点で、著作権二次侵害であると問われてしまうわけです。「この画像には著作者が存在する可能性があります」と注意を促すだけでは責任回避はできない。
つまりインターフェースが引き起こすコミュニケーションにまで十分に気を遣う必要がありそうです。
だとしたら、どうしたらいいんだろ?
「画像なんて扱わなければいい。」とはシンプルな結論。しかし生産性がないので別な方向をさぐる。
Perfect 10に同情的でない人は大勢います。しかし、もし自分が苦労して立ち上げた事業、自分が誇りを持っている製品を、誰かが横からさらい、労せずに利益を上げようとしたら、こうした人々も憤るのではないでしょうか。現在の状況というのは、まさにそれです。
この気持ちに応えるとしたら、せめて広告的なメリットを付与してあげることかな。正当な著作者が誰か、どこを通して購入するべきかを明示しておけばいいのかな?
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▼ グーグルの画像検索に差し止め命令--米グラビアサイトの訴えが認められる
判事は2つの違いを指摘した。その1つは、Googleが著作権侵害にあたる画像を掲載したこれらの写真サイトにAdSense広告を提供し、売上を得ている点で、もうひとつはGoogleが携帯電話用にも画像検索機能を提供している点だ。
画像検索のテクノロジーは善しとしながらも、違法行為がGoogleに利益をもたらす点について、ダメ判定がなされていますね。
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