先日行われた東京ブロガーカンファレンスの発起人であり、mixiのマイミクでもあるCFTYさんから、日記で「楽天でメールで動画が投稿できるようになりました!ミズタマさんどう思う?」と聞かれました。
そりゃ、あーた。
ビデオPodcastingの映像入力が楽になるってんだから、良いに決まってるじゃないですか。
転送速度や容量制限はどんなもんですか?データファイルアップのフォームと二本立てなんですか?楽天を通すと、動画はどんなファイル形式になるんですか?などと、もすこし詳しく知りたいところがあるのだけれど、それ以外に最近大事だなと感じているものに触れるものがあったので、マジレスで語ります。
あのですね、「届いたメールに、動画を添付してメールを返信!(メールはPCに届きます)」ていう箇所があるでしょう。
一度PCに入った動画っていうところ、ちょっとポイントですよ。
公開されるコンテンツが興味深いものになる可能性をもたせたという意味で。
舵の切り方がちょっとイイゾ?って感じですか。
順を追ってお話しますね。
実はエンコードとか、動画を扱えるサーバの確保とか、RSS2.0ファイルの用意って、物凄く面倒で、しかも情報も少ないんです。
少なくとも今年の9月の段階では。
それでbin/word blogさんでは、もっと手軽にやれないものかなあと構想が練られたり、著名ブロガーで知られる29manさんからは、「撮るのも、ポッドキャスティングで公開するのも簡単なサービス、出ますかねえ」なんて聞かれたりするんです。
こうしたことには、「ビデオPodcastingは技術的な敷居が高い。」という認識があると思うんです。直接そう言われたこともありました。
そういう背景のなかで、FlipClipが11月1日に「Podcastingが簡単にできる!」と銘打って、ケータイからのメール送信で動画を受付け、Podcasting対応に変換するサービスを始めたんです。
これは、動画ファイルのMPEGエンコードや、ポッドキャスティング用のRSS2.0ファイルの用意など、技術的に面倒なことはFlipClipのサーバサイドでやってしまうものです。
いつも持ち歩いているケータイで撮ったムービーをFlipClipのサーバに送るだけで、面倒な加工が全て完了し、Podcast可能になったファイルがアップされる。
しかも、ユーザー共通のページでアップした告知もされちゃう。なんてニュースを聞き、
「技術的には素晴らしい。ビデオPodcastingの敷居がグーンと下がったな!」
そう思いました。
しかし、それらが集まったランキングページを見てみると、「ビデオPodcastingで何かが面白くなるなんて、ただの妄想だったのか」と思うくらいのショックを受けます。
いいですか。ここからは、僕の主観であって一般論として断じる気はないですよ。
撮りっぱなしで何の説明もない動画データって、1個ならさほど気にならないけど、Flickrみたいな画像共有サービスらしき場に集めると、混沌としてしまって地獄のようです。
あるときなんて、ユーザービュー1位は、ハトがクルッポーと歩くだけのムービーですよ。「なんじゃこりゃ」と呟いて、言葉を失いましたよ。
そのうえ、どこを見ても「それが何なの?」「見ちゃったけど、この時間に意味あんの?」とひたすら解決されない疑問符だけが浮かんでくるんです。
では、単品でみるのがツライなら、あるジャンル、まあスポーツなんかに絞り込んで、美技などがあったら見ようか。と考えるんですけど、今度はそのカテゴリー分類が見当たらない。
なんかユーザーが設定したタグみたいなのが実装されていましたが、ユーザーの個人的タグが丸出しで、他人が使えるようなものではありません。
たとえばYahooトップのカテゴリー名が、はてなブックマークのユーザーのつけたタグ一覧に置き換わったようなものです。
タグ「ゆうま」って何?意味わかんない。
これも同類をまとめるような機能を発揮できないから、さらに混乱します。
その模様を見て思うのは、技術は素晴らしい。そしてやってることは技術的には確かにPodcastです。
けれど、Podcastの最終的な姿は、多少なりとも気に入っていただけて、個々人が持つ非常にプライベートな携帯プレイヤーに収まって視聴されることだとしたら、なにを見せたいんだか、なにを伝えたいんだか意図もわからないものが垂れ流されたものとは、何なのだろう。
これは違うだろうよ。と、心の中で強く思うのです。
そして、動画にはいろんな意味での編集が必要であり、それこそ肝だ。ということを改めて思い知らされます。
ここでいう編集とはですね…
1・動画素材のライン上の編集
2・複数の動画素材を並べ、関係性で物語る編集
3・その動画素材(素材群)の入れ物の編集
ざっくりとこういうことです。
1・の最たるものは映画です。
基本的に一本のファイルのなかでコンテンツとして完結しています。
2・の例は写真集。音楽ならアルバム。DJのプレイもそうだし、ヒップホップもそうかもしれない。ゴダールの実験的な映画も含められるかな。
言える事は、独立したコンテンツを組み合わせて、一連のもので新たな意味を見出そうとしていること。
また、Flickrやはてなブックマークで、タグによって似た属性の写真・記事を集合させて見るのも、この中に入る行為です。
集合することで、広がりや深みをもつ一塊の情報にしようとするわけです。
3・の例は、ブログとそこに貼られた写真や動画の関係です。
画像そのものは撮りっぱなしでも、前後に繋がるタイトルや本文が、テレビのテロップのような役割を担います。
画像を説明したり、注目するポイントを指し示したり、画像を生かすための流れを作り出したりします。
そして全体として編集されたコンテンツに仕上がります。
ほら、以前CFTYさんが、猫のボリス君が芸をやる証拠VTRをアップしましたよね。
あのページは「芸をするのは犬。みたいな認識があるけど、猫だってやるんだよ。知ってた?」と、見る人に観察する切り口が与えられてました。
さらに、構成要素のバックグラウンドとしてCFTYさんがどういう人で、ボリス君がどういう位置づけのキャラで、みたいな情報が紐付けされてて、もう一つ外側には見た人とコメントを交わす仕組みもあります。
そうした総体だから動画の魅力が生きるのだ、と考えるわけですよ。
ちなみに1も2も3も、システムを仕掛ける側が意識してこういう形にしたいと思っていなければ中途半端になってしまうでしょうね。
さて話を元に戻します。
楽天の発表した「メールで動画が投稿できるサービス」。
一度PCに入ると、その時点で編集する機会も生まれるし、発表するプラットフォームとしてブログを整備しようかとの行動も起こりうるでしょう。
編集の意識が起きるということは、観察軸が提示されたり、見やすかったり、詳しくなったりする可能性が、先に挙げた事例よりも生まれるということです。
期待を生むということですか。
そういう意味で良いと思います。
言い忘れていたけれど、編集に関する知識のネタ元は、この本です。
どもども!
mixi上の説明よりも更に詳しくて勉強になりました。
声だけの配信って抵抗あるけど動画はやってみたいなあ
と思ってるのですがやっぱり編集とかいろいろポイントが
ありますねー。
メールで動画アップの練習してて、質問したエントリが
消えちゃったので、後ほどTBをかねてこのエントリを
紹介させていただきますね!
投稿情報: 猫飼える | 2005年12 月 1日 (木) 14:01
猫飼えるさん、こんにちは!
エントリ、楽しみにしてます。
ところで、長い話ですいません。
もうね、上がった文章を読み返して「こんなの面と向かって語りだしたら、聞いた方が後悔するね。つか、爆睡する。長すぎて。」と思ったんです。
けど、物事の背景を抜かしたら、「良い」と評価したものの価値が分かるまいよ。ということで、あんまり削れませんでした。
そうか、「良いと思ったポイント」「その理由」と段落に分ければよかったんだ!
今更気が付いた…
投稿情報: ミズタマのチチ | 2005年12 月 1日 (木) 14:33